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BUTTER

なんとなくずっと気になっていたBUTTER 柚木麻子著 を読み終えて。

実際の事件である首都圏連続不審死事件の被告 木嶋香苗を基にした物語とのことで、ん、なぜBUTTER?なにBUTTER?

まずはざっくりとしたあらすじを。

あらすじ

男たちの財産を奪い、殺害した容疑で逮捕された梶井真奈子(カジイマナコ)。通称カジマナ。若くも美しくもない彼女がなぜ。。。

週刊誌記者の町田里佳は親友の怜子の助言をもとに梶井の面会を取り付ける。フェミニストとマーガリンを嫌悪する梶井は、里佳にあることを命じる。その日以来、欲望に忠実な梶井の言動に触れるたび、里佳の内面も外見も変貌し、怜子や恋人の誠らの運命をも変えてゆく。各紙誌絶賛の社会派長編。

感想

身近に思い当たるフシがちらほら。そして再度読み返すと「あー、これこういうことだったのか。」「なるほど、この描写はあの事を示唆してたのか。」などザクザク出てきて、それがまたパズルのピースがハマっていくようで面白かった。私たちのっそのっその2人はこの小説の解釈を話しだしたら止まらなく、気付けば6時間経ってました。

結論から言うと、この話は『生きろ!ただし独りよがりにはなるな!全ては適量!』ってところに落ち着きました。(まだ完全に議論は終わってませんが)

本の文章を借りて、簡単に説明すると

首都圏連続不審死事件の容疑者・梶井真奈子(カジマナ)はフェミニストが嫌いと言う割には、女性に対してかなり極端な価値観を持っている。世の中の女性はこうあるべき(例えば体型の話)、と言うような世間体は全く気にしないが、また別の強烈な思考を持っている。

それは父や性犯罪者との交流の中でできた価値観、すなわち、すベて女性が悪いのだ、女が男と同じように生きようとして、一歩引いて男を立てる女神ではないから、全ての歯車が狂うのだ。と言う考えである。

カジマナ的には「男性を喜ばせるのは楽しいこと。仕事ではない。ケアし、支え、温めることは神が女に与えた使命。それをまっとうすることで女は美しくなれる。女神のような存在に。そう私は女神。」なのだ。

ーひと昔前の男尊女卑の極端バージョンって感じですね。強烈。

それと同時に、現代において女性が社会進出してバリバリ働いて男性と同じ立場となる事や、それでも男性から選ばれたいために”女性らしさ”として体型を気にして、手軽な減塩やヘルシーとうたう食品ばかりを食べるような現代女性を真っ向から否定しているのです。

そんなカジマナと、現代を生きる里佳が出会う。

里佳は事件を取材する週間秀明の記者でバリバリのキャリアウーマン。彼氏はいるが仕事優先の生活をしており微妙な関係で、料理などの家事も得意ではなく家庭的と言うタイプではない。

ーいや〜、働かずに男性に奉仕する事で生きてたカジマナと正反対っすね。

また、学生の頃は男のような見た目から、女子校では周りの女子から王子様のような目で見られ、里佳自身もまたその求められる王子というキャラを演じていた。つまり周りに合わせて求められている自分を演じるタイプ。

ーいや〜、強烈に自分を持って生きているカジマナと正反対っすね。

そんな里佳が取材という名目でカジマナに言われた事をやっていくうちに、欲望を開放しているカジマナに憧れを抱いて変化していく。今までの自分に無かった価値観を目の当たりにして、あ、こんなんも良いんだ、体型なんて気にしなくて良いじゃん、美味しいもの食べるって幸せ!という風になっていくわけだ。

ーあぁなるほど、この小説は現代に蔓延る世間体へのアンチテーゼか。

犯罪者で世間とズれているカジマナの発言が、ぶっ飛んでいるようで、しかし、世間に流されていた自分に徐々に気づかせてくれる。良いんだ、自分も欲望を開放して良いんだ!!

って感じさせてくれる、そんなストーリーかと。

ここでもう1人ぶっ飛んだ人が出てくる

途中まで読んだところではそんな風に思っていたのですが、途中から同じくらいぶっ飛んだ人が出てきます。それが里佳の友達の怜子。

怜子は里佳の大学時代からの友人で、前は大手映画会社の広報として働いていたが現在は結婚しており、専業主婦。料理や掃除などの家事が得意な家庭的なタイプ。

この子は控えめなキャラかなーと思ったら、突如暴走しだすのだ。

まずは、カジマナの影響で欲望を開放し出し、太ってきたことも気にしない里佳を心配し、カジマナと面会しにいく。一般人が連続殺人事件の容疑者と面会しに行くとかメンタル強すぎますね。

更にそれだけではなく、カジマナが逮捕前に最後に接触したオジサンの家に転がりこむのである。そこでカジマナがやったように家事をやり奉仕をする事で、オジサンに取り入り事件を解決するヒントを得ようと。この猪突猛進ぶりは猪もびっくりでしょう。旦那はどんな気分だろうか。。。

しかしその作戦は失敗に終わる。怜子は完璧な家事をこなしていたのだが、オジサンからの警戒は解けずに何も得られなかったのだ。

ここで疑問が一つ出てくる。料理も掃除も完璧で、おそらく見た目もカジマナに優っている怜子がなぜオジサンに選ばれなかったのか?

ここの私たちの解釈は、「行為の対象が違うから」でした。

カジマナの場合は男の人に奉仕し認められる事が生きがいであり、それが全てだったのでしょう。そのため男性をたてるために自分を完璧に殺すことができた。つまり行為の対象は完璧に相手。

その反対に怜子は「家庭的な女=死んでいる、自分の思い通りにできる、というイメージを男は持っているが、家事ほど才能とエゴと狂気が必要なことはない」と思っているくらいだから、怜子にとって家事とは奉仕ではなく自分に向けた行為だったのだ。

小説の言葉を借りると、カジマナは相手のために「死んでいた」ので男にとって都合が良く気に入られたが、怜子は自分のために「生きていた」ので、その生命力に男が怖気付いて心を開かなかったのでしょう。

そんな暴走怜子もカジマナに劣らず、強烈な価値観を持っている。それは”家庭”への極端な理想。完璧に家事をこなし理想の主婦でいなければならない、夫婦はセックスをしたくあるはずで子どもを作るべきだ、と言うような考え方。

そのため相手のことをちゃんと見ることができずに夫婦仲がギクシャクしていたり。

自分の”こう”が強すぎると大変ですね。

最終的に思うこと

カジマナの「女は自分を殺して女神であるべきだ。」や怜子の「夫婦とはこうあるべきだ。」と言うような極端な思考は、どちらにせよ社会で対人関係の中で生きていかなければならない私たちにとっては危険だなぁと。

ただ里佳のような、周りの価値観に流されて生きていくのもなんだかなと。カジマナに内側まで入りこまれ、破滅しかけたのを見るとそれもまた危ない。

結局は、過去や周囲の環境や人の影響を受けつつも、自分の中の欲望をちゃんと見つめ、自分にとって無理の無い範囲で最適な価値観を見つけようってことでしょうか。

小説の中の言葉で、最もそれを表しているのは”適量”。

最後に里佳が自分のためのオリジナルレシピを作るところは、里佳が自分にとっての”適量”を見つけたことを比喩しているのでしょう。

適量で破滅することなく泥臭く生き続ければ人生楽しいよってことかな。

と言うことで我々の結論

自分の欲望をちゃんと理解しろ=生きろ!

でも周りもちゃんと見ろ=ただし独りよがりにはなるな!

結果=全ては適量!

にたどり着いたわけです。

ちゃんちゃん。

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