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コンビニたそがれ堂/ 村山早紀

NODOKA

やばい、泣いてしまう。

喫茶店でこの本を読んでいた私は、泣きそうになってしまって必死に涙を堪えて、気を紛らわそうと奥のテーブルに座っている家族連れの会話を聞こうとする。

あかん、完全に油断した。この本の醸し出す、緩やかな優しい雰囲気に不意をつかれてしまった。

コンビニたそがれ堂。

この店は、風早(かざはや)という街の駅前商店街のはずれ、赤い鳥居が並んでいるあたりに、夕暮れになると現れる不思議なコンビニ。

でも、大事な探し物がある人にしか見つけられない。そんな不思議なコンビニ。

このコンビニで探し物を見つける、5つのエピソード。

それぞれ短い話で、あっという間に読み終わってしまう。

この本はもともと児童書で、この著者は元来は絵本作家だそう。よくぞ大人向けの文庫本にしてくれた!児童書だったら出会っていなかっただろう一冊。でも子どもの時に読んでいたら、今ほど心を動かされなかったかもなあ…

子どもの頃に結構児童書を読んできた私にとっては、読みやすく、物語にも入っていけた。

でももうウン十年前から児童書を読まなくなっていたので児童書に慣れ親しんだ私でも、最初ちょっとツッコミを入れてしまった。あぁぁ汚れた大人になってしまったw

ファンタジーにツッコミはナンセンスなので、この世界に入っているうちに一気に読むことをおすすめします。

そしてリアルな話が好きな方には読みにくいのかもなー、どうなんやろう。

その辺の感想も聞いてみたい。

【こっからネタバレ含みます】

5つの物語の中でも、時に好きなのは “桜の声” と “あんず” 。

”桜の声” は、ラジオのパーソナリティーという仕事を都会で続けていくか、両親を安心させるために田舎に帰るか悩んでいる、もうすぐ30歳になる独身女性(だいたいこういう時は彼氏ナシ。漏れなくこの女性も彼氏ナシw)のお話。

この話が響いたのは、私が35で独身だから。ということではない。

都会でバリバリ働くか、田舎でのんびり家庭を持つか。そういう話だけじゃなくて、その情景にも感動したのかなぁ。戦争の描写も出てくるから綺麗な景色ばかりじゃないけども、なんやろう、それも桜の魔力なのかな。

ケツメイシのさくらが聴きたくなったので、流しながらこれ書いてます。懐かし。

この物語にもこの曲が出てくるので、ぜひ読み終えたら聴いてみて欲しい。でもYouTubeで聴くとMV見てしまってそれどころではなくなるので、このブログ読んでからにしてくださいw

(そしてこの曲のMV、2021年ver.もあってびっくりした。でも昔のがしっくり来るアラフォーでした。)

MVは置いといて、この話の最初と最後の描写も良かった。なんだか明日も一日頑張れそうって思える読了感でした。

もう一つの ”あんず” は、大切に育てられた拾い猫のお話。この白い子猫は病気にかかっていてもう先が長くない。こういうのには弱い…

「星は大切な人の瞳のきらめき」というフレーズが出てくる。

星空をそんな風に眺めたことはなかったなぁ。

昔から、亡くなった魂は星になるって言ったりもするけど、もしかしたら今後、もっと年を重ねていくとこういう風に感じることが増えてくるのかもしれない。

ちょっと想像してみた。でも父は “太陽” で、母は “月”な感じがするなぁ。ごめん、勝手に殺した。…これ以上はやめておきます。

そしてこのお話の最後に出てくるセリフ。

『見えなくなっても、会えなくなっても、きっと、「どこか」には、みんな、ちゃんといるっていうことさ。消えてしまうわけじゃない。誰の魂も、どんな想いもね。』

そう願いたい。ガガガSPのコザック前田も歌ってるけど、思い出を捨てられた時が多分死ぬ時なんだろう、と。

さて、みんながどんな探し物をコンビニたそがれ堂で見つけるのかは、読んでからのお楽しみ。

みなさんは、どうしても見つけたい探し物はありますか。

私は、オーストラリアのビーチで置き去りにしてしまった、昔勤めてた会社の所属店舗の同期とお揃いで作ったピンキーリングです。(これで3人中2人無くしたw)

あぁ、たそがれ堂あらわれてくれないかな…

ひぐらしの声を聞きながら。

2021.8.3 NODOKA

RYO

児童文学作家の方の文章だけあり、優しく語りかけてくるような文体で、何の引っかかりもなく頭の中に入ってくるのが実に心地良い。

想起される情景もどこかアニメのような、現実の暗さみたいなものは漂わない明るい世界で、本当に見つけたい物がある人だけが辿り着ける”コンビニたそがれ堂”を舞台に、5つストーリーが繰り広げられる。

友達の話、家族の関係、仕事の話、動物の話、機械の話。

自分の気持ちとは裏腹に変な行動をしてしまうというのは誰にでもあるのではないでしょうか。

仕事に悩む30歳くらい、私は今ちょうど30歳で、悩んではいないけどこの先の人生を考えてしまうってことはわかる気がする。

愛猫との話。これはもう、、、猫を飼いたくなる。

思い出のテレビの話。思い出の家電みたいのは無いけど、そう言われると小さい頃って物を擬人化する機会が良くあったような、と思い出した。

物を大切にしないと、「物が可哀想」と言う言葉を使って指導されたり、道徳かなんかの授業で、人の気持ちを想像したり、動物の気持ちを擬人化して想像する、みたいのをやったようなやってないような。(記憶を改竄している可能性有り)

人や動物の気持ちを想像する、ってのは無意識にやってるのかもしれないですが、でも大人になるにつれ、そういう事は環境的にはあんましなくなるのかなぁとこの本を読んで思った次第であります。

そういった意味で、この本を読んで子供心を思い出したような、気持ちが浄化されたような気でいます。

偶然にも、現在、修善寺で文豪カフェをやりながら、修善寺をどう巡ったら面白いかなぁと言うことを考えていて、ひとつ”妄想”というキーワードで僕らなりの楽しみ方を提唱しているところでして。

そのポイントは、歴史の人の気持ちとかを、正確・不正確は問わないので、とにかく妄想してみようというところ。

例えば、源範頼が、たった一つの発言をボスの頼朝に誤解され、終いには修善寺に追いやられてしまう事件。この時の範頼のやるせない気持ちを考えてみる。

そうするとなんとなく、源範頼なんていう大昔の人で、全く今のあなたに関係のないオジサンでも、「あぁ自分も似たようなこと経験あるわ」と、少し身近に感じられるのではないかなぁと。

身近に感じるということは、少し距離が縮まったんじゃなかろうかと。

そして終いには修善寺との距離も縮まるのではなかろうかと。

そんなことをしてまして。

物の気持ちを想像する、なんてのはあくまで妄想なんだけど、その妄想があってるかも答えはないから分からないけど、想像しようとするスタンスが大事なんじゃなかろうか。

そんな自分の現在やってる事との、ふわっとした共通点を感じて、読了しました。

子供にも大人にもおすすめです!

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